2020年05月18日
カフェ萩野球談議の日
元NHKキャスターのフリーアナウンサー渡辺弥生です。
5月も後半に入りましたね。
毎週月曜日は「カフェ萩野球談議の日」の
ご案内ですが、ご存知のように、緊急事態宣言下で
夜の「野球談議」はお休み中。
昼間は営業しています
最新の情報は、以下からチェックしてくださいね。
カフェ萩
常連の音里湾さんブログ
「カフェ萩」は
巨人広島ヤクルトで活躍した
プロ野球OB萩原康弘さんのお店です。

目白駅改札(1ヶ所しかありません)を背にして、横断歩道を渡り
30秒ほど歩くとこちらのセットが!

エレベーターで3階に。目の前がお店。
ところで、萩さんの出身チーム広島は
宣言解除を受けて
全体練習が始まる見込みと
今朝のニュースで報道していました
少しずつ、日常が戻ってくると
良いですね


お問い合わせはこちらをクリック
では今日の中村天風(1876〜1968実業家、哲学者)
の教えです。
中村天風の教えは、野球界では広岡さん、王さん、野村さん、
あの大谷選手、テニスでは松岡修三さん、
経済界では松下幸之助、稲盛さんなどなど
多くの著名人が学んでいます。
〜天風会メールマガジンから〜
俗物
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
感情の統御が完全にできず、
わがまま気ままな、
自分勝手な、
独りよがりの気持、否、
感情本位で人生に活きている人は、
どんなに事業的に成功したように見えても、
また客観的に偉そうに見えても、
真理の目から見ると、
ただ一個のエゴイスティックな
卑しい下等な俗物としか考えられない。
中村天風
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
▼わがままな感情、うぬぼれ慢心を
心から払拭しよう
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(以下、『哲人哲語』『「惑」の解』
より引用抜粋)
私が「人間は感情の動物なり」と
世人が何の不思議もなく
言い慣らしている言葉を、
決して人間への正しい形容ではない、
真理の上から厳粛にいえば
「人間とは感情を自由に統御し得る生物なり」
というべきだと主張するのも、
けだし
「思惑」=感情から発因した
迷妄の然(しか)らしめている結果を
心の中から完全に除去し得ずにいるという、
一大事実があるからである。
修養彼岸の第一眼目は、
まず自我を本位としたわがままな感情と、
おれが自分がといううぬぼれ慢心という
卑しい心情を心から払拭(ふっしょく)し、
「思惑」を心にもたせぬように
することである。
この一事がよく完全に解決されない限りは、
たとえ一時的に、
人生に何もの何事かを得ても、
早晩その末路は憐れなもので
その一生を終えることとなるのみである。
誠に、悟らざるべからざるものは
「惑」なるかなである###
5月も後半に入りましたね。
毎週月曜日は「カフェ萩野球談議の日」の
ご案内ですが、ご存知のように、緊急事態宣言下で
夜の「野球談議」はお休み中。
昼間は営業しています

最新の情報は、以下からチェックしてくださいね。
カフェ萩
常連の音里湾さんブログ
「カフェ萩」は
巨人広島ヤクルトで活躍した
プロ野球OB萩原康弘さんのお店です。
目白駅改札(1ヶ所しかありません)を背にして、横断歩道を渡り
30秒ほど歩くとこちらのセットが!
エレベーターで3階に。目の前がお店。
ところで、萩さんの出身チーム広島は
宣言解除を受けて
全体練習が始まる見込みと
今朝のニュースで報道していました

少しずつ、日常が戻ってくると
良いですね

お問い合わせはこちらをクリック
では今日の中村天風(1876〜1968実業家、哲学者)
の教えです。
中村天風の教えは、野球界では広岡さん、王さん、野村さん、
あの大谷選手、テニスでは松岡修三さん、
経済界では松下幸之助、稲盛さんなどなど
多くの著名人が学んでいます。
〜天風会メールマガジンから〜
俗物
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
感情の統御が完全にできず、
わがまま気ままな、
自分勝手な、
独りよがりの気持、否、
感情本位で人生に活きている人は、
どんなに事業的に成功したように見えても、
また客観的に偉そうに見えても、
真理の目から見ると、
ただ一個のエゴイスティックな
卑しい下等な俗物としか考えられない。
中村天風
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
▼わがままな感情、うぬぼれ慢心を
心から払拭しよう
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(以下、『哲人哲語』『「惑」の解』
より引用抜粋)
私が「人間は感情の動物なり」と
世人が何の不思議もなく
言い慣らしている言葉を、
決して人間への正しい形容ではない、
真理の上から厳粛にいえば
「人間とは感情を自由に統御し得る生物なり」
というべきだと主張するのも、
けだし
「思惑」=感情から発因した
迷妄の然(しか)らしめている結果を
心の中から完全に除去し得ずにいるという、
一大事実があるからである。
修養彼岸の第一眼目は、
まず自我を本位としたわがままな感情と、
おれが自分がといううぬぼれ慢心という
卑しい心情を心から払拭(ふっしょく)し、
「思惑」を心にもたせぬように
することである。
この一事がよく完全に解決されない限りは、
たとえ一時的に、
人生に何もの何事かを得ても、
早晩その末路は憐れなもので
その一生を終えることとなるのみである。
誠に、悟らざるべからざるものは
「惑」なるかなである###